こんばんは。
先日Twitterにてこんな記事を発見しました。(大体情報源はTwitter)
打楽器の仕事やプロなんて存在しないっしょwとサラリーマンに言われた件。
著者はプロの打楽器奏者で、残念な人に出会った思い出を記事にして供養しようと思ったとのこと。
記事はこちらから読めますまだ駆け出しのフリーランス奏者だった頃、知り合いのアマチュア奏者に誘われて初対面の方と飲みに行った時に、相手に「え、打楽器ってプロが存在してるんですか?」と大真面目に聞かれて、オーケストラの打楽器奏者もれっきとしたプロの演奏家たちで、オーディションも行われているということや専門家であることを説いたのに最後まで信じてもらえなかったそうです。
まあ、確かにシンバルとかトライアングルって見た目は簡単そうに見えるから(やってみるとめちゃくちゃ難しいんですけどね)、その道のプロがいる、というのは全く音楽に興味のない人から見れば理解できないことなんでしょうかね。
そういえば僕がよく動画を視聴しているラジオ系YouTuberの方のとある動画で「オーケストラで真面目な顔してトライアングルを叩いている人って恥ずかしい」みたいな馬鹿にするような発言があって、よっぽどコメントで罵倒してやろうかと思ったことがあります。
僕らのような仕事は普通の人からは理解されにくいことが良くあります。
僕の祖父も少々頭の固い人でして、僕が指揮者として働き始めて間もない頃は「仕事というのは毎日同じ時間に同じ場所に行くものだ」と謎の持論を展開された事がありました。
指揮者になってから約4年。昨日は埼玉、今日は東京、明日は千葉・・・のような生活をずっと続けておりますが、それが祖父には理解できなかったようです。
今は、応援してくれていますけどね。
音楽大学の指揮科を受験すると決めた時も、高校の同級生には「指揮者ってなんで必要なの?メトロノームじゃダメなの?」と真面目な顔で質問されたこともありました。
あと、これは最近知ってちょっとショックだったことなんですが、祖母がある時、ご近所さんに「お孫さん、指揮者なんですってね。よかったわね、実家がお金持ちで」といった旨の発言をされたそうなんです。
要は、音楽で生活するのは無理だから、実家の援助を受けてると思われていたみたいなんですよね・・・。
自慢じゃありませんが僕は音楽大学を卒業してから一度も普通のバイトをした事がありません。音楽の仕事だけで稼いで、東京で一人で不自由なく暮らしています。しかし、興味のない人から見れば「音楽=道楽」とも映ってしまうのだろうと思いました。
一つ目の例に挙げた高校時代の友人は本当に知らなくて聞いただけでしょうから別にいいんですけど、二つ目の例なんかはまさに冒頭で引用した記事のサラリーマンのように、自分の知らない業界のことを知ろうともせずに見下すという「残念な人」ですね。
そもそも自分が知らない分野のことを想像、あるいは偏見だけで見下せるってある意味すごいですよね。
それが事実かどうかも分からないうちから批判ができるというのは僕にはとても理解できない感覚です。
よく知らん奴に言われたことは気にしない。受け止めるのは尊敬する相手からの言葉だけで充分!
という言葉でその記事は締められていましたが、まさにその通りだと思います。
人は興味のない分野に対しては理解しようとしません。こちらがいくら丁寧に説明しようともね・・・。
いつだったかに演奏会来場者アンケートに関する記事を書いたかと思いますが、たまに純粋な悪意に触れる事があります。ただそれも今回の例とは少し違うかもしれませんが「よく知らん奴から言われたこと」なんですよ。
結局、相手から言われた言葉をどう受け止めるかはこちらの自由。
情報の取捨選択。
こちらの事を思ってのアドバイスや批判はありがたく受け止めますが、ただの悪意ある罵倒やマウント、その他諸々・・・は、ただの雑音でしかありませんので気にすることはありません。
・・・と、うっかり自分が今までに晒されてきた悪意への鬱憤を晴らすかのように愚痴っぽくなってしまいましたね。失礼しました。
結局は自分が出来る事に、真摯にひたむきに取り組んでいくしかないんですよね。周りのことは気にしない。それが一番だと思います。