中身のない雑談

音楽に携わる人たちを取り巻く環境について語る

特に何かあったわけではないのですが、前々から記事にしてみようと思っていた題材のネタがある程度固まったので、思いつくままに書いてみようと思います。

音楽に携わる人というのはプロアマ問わず周囲からの偏見に悩まされたという経験がお有りかと思います。今日の更新は、そんな偏見に対する話。

ピアノ男子に対する偏見

Twitterを眺めていたらこんなツイートを発見しました。

「男がピアノを弾くのは恥ずかしいから」という理由で周りにピアノが弾けることを隠している男の子の話です。

この方のツイートの最後にもある通り、この手の思い込みのせいで世界が狭まる可能性があるのは、とても悲しいことだと思います。

ピアノを弾ける男子は確かにかっこいいと思いますよ。自分で言うのはなんかアレですが。

僕はピアノが弾ける事でモテた試しがありませんが、是非この少年にはこれからもピアノを続けてそんな偏見なんて吹き飛ばしてほしいものです。

そういえばうちの両親が僕にピアノを習わせようとした時、祖母が「ピアノは女の子の習い事だ」と言って反対したそうです。今から約25年も前の事ですが、その頃の偏った価値観が令和になった今でも蔓延っているんですね。

ちなみにピアノを習わせるのに反対した祖母の言い分としてはその後「プロになりたいと言い出したらどうするんだ!」という事だったそうなんですが、それに関しては悪い予感を的中させてしまって本当に申し訳ないと思っています。

形の残らないものに価値を見出せない人たち

多くの駆け出しの演奏家がボランティアでの演奏依頼というのをされた経験があると思います。

これに関しては以前記事にさせて頂きましたが、「特定の条件下で」「本人が納得するのであれば」ボランティアでの演奏活動に関しては有りだと僕は思っています。

ただし、いくら自分が納得しているとは言ってもなんでもかんでもボランティアで引き受けてしまうと、業界全体の価値を下げてしまうことに繋がりかねません。

駆け出しでもなんでも、「プロ」として活動するということに責任をしっかり感じて、見極めていかなくてはならないと思います。

残念なことに、芸術のような形に残らないものに対しては価値が発生しないという考え方はまだ広く残っているようです。

僕は友人の結婚式などのイベントで余興の演奏を頼まれたとしても出演料を取る事にしています。それがプロとして活動していく上での「責任」だと思うからです。

幸いな事に僕はまだ遭遇していませんが、友達だからタダでいいでしょ?とか言われるケースもあるとか・・・。

まだまだ意識改革には程遠いですね。

演奏会などのイベント中止について

最近は新型コロナウィルスの感染者が各地で報告されていて、それにより演奏会などのイベントが次々と中止に追い込まれているようです。

アマチュアオーケストラなどの市民楽団は演奏会も半年に1回とか年に1回とかで、その1回の演奏会に合わせて練習を重ねてきているわけで、中止という判断は断腸の思いだったことと思います。

演奏会の決行を決めた方に対して、このようなリプライを飛ばす人を見かけました。

僕はどう考えても来た人の自己責任だと思いますが。

こういう、クレーマーによる言い掛かりが、各地でのイベント中止に繋がってしまっているように感じます。

こういった風潮が広がる事によって、演奏会を中止しない事=非常識という構図が成り立ってしまわないことを願うばかりです。

だいたい、演奏会の開催を決定した事に対して主催者に「感染したら責任取れるのか」と言ってくるのは見当違いのクレーム以外の何物でもなく、こちらとしてはなんでお前の健康状態まで気にしなくてはならんのかという感じですが・・・。

僕が出演する明日(2020年2月23日)の演奏会は予定通り開催される事になりましたが、手洗いうがい、マスク着用などの措置を徹底しています。

演奏会のような多くの人が集まるイベントを積極的に中止にしていく方向ではなく、個々が健康への意識を持って日々を生活することの方がよっぽど重要なのでは。

とにかく、開催するにしても中止にするにしても、その結論を出すまでに主催者側は大いに悩んだ事でしょうし、その決断が決して軽いものではないということを客側の人にはどうしても分かってもらいたいと思います。

ちょっと当初の話題からずれた感じがしないでもないですが、音楽に携わっていると理解のない人間からの心無い言葉に直面することもある・・・という話でした。

ABOUT ME
condzoomin
指揮者・ピアニスト・愛猫家。ショスタコーヴィチの作品研究と演奏をライフワークにしています。好きな日本酒は浦霞。