真面目な音楽の話

フリーランス音楽家の「ボランティア」について考える

こんばんは。

ちょっと前まで、東京オリンピックのボランティア問題について、連日話題になっていましたね。

最近はあまり耳にしないですが、結局どうなったのでしょうか。

先日、Twitterを何気なく見ていたら一つのツイートが目に入りました。

それがこちら。東京2020パラリンピックの開会式、閉会式の出演者募集の要項です。

スポーツが得意な人がいるように、歌が得意な人がいる。ダンスが得意な人がいる。楽器が得意な人がいる。そんな全ての人たちが、アスリートと同じように世界に向けて活躍できる開閉会式にしたいと思っています。

・・・と公式サイトで応募を呼びかけています。

この開会式、閉会式への出演者の募集要項ですが、「自発的かつ任意にご参加いただくものであり、出演料党の対価のお支払いはございません」という一文が書かれていることに言及した何人かの芸術系の方のツイートを目撃しました。

まあ、正直これに関しては僕は別にアリだとは思います。自分は出たいとは思いませんが、出演料のような対価が支払われなくても一生に一度の経験でしょうからね。

プロ、アマチュア関係なく心を動かされた人は多いのではないでしょうか。

多くのツイートでもありましたが、そもそもボランティアには「無償」という意味はありません。

ボランティアには「志願兵」という意味があり、自ら志願する活動のことを指すわけです。

決して無償で働く人のことではありませんね。

東京2020のボランティアの募集に対してはかなり多くの批判が集まっていたようですね。

交通費、宿泊費も自己負担で10日以上の参加。普通の社会人にはとても無理な条件です。しかも、これが無償。

批判が殺到しないわけがありません。

まあ、東京2020のボランティア問題に関しては多くの人がTwitter、ブログなどで発信していますし、今回僕が改めて何かを言うまでもないと思うのでやめておきます。

ちょっと導入からは話がずれるんですが、このツイートを目撃し、フリーランスの音楽家という立場にいる自分としても色々と思うところがあったため、今日はそのことを記事にしてみようと思います。

我々音楽家の間でも、しばしばボランティアの本来の意味を勘違いした依頼が届くことがあります。

◯月◯日、◯時から1時間。ボランティアのため出演料はお支払い致しません。

のようなちょっと失礼な文体のこともあれば申し訳なさそうに「ボランティアなんですが・・・」と言われることも。

多くのフリーランス音楽家が一度はこういった依頼を受けたことがあるのではないでしょうか。

もちろん、我々音楽家は報酬を頂き、音楽を提供しているわけですから本来そこには金銭が発生すべきだとは思います。

事実多くの音楽仲間がボランティア(無償)での演奏活動にはあまり良い印象を抱いていないようです。

ですが、僕はこの「ボランティア」もとい「無償での演奏活動」に関しては特定の条件下で本人が納得するのであればアリだとは思っています。

僕がお世話になっているとある会社の社長はよくこんなことを口にしています。

音楽家が仕事を受ける条件は大きく分けて3つある。「人」「仕事」「金」だ。

と。

「人」。すなわち自分が尊敬する音楽家との共演など。

「仕事」。自分が芸術家として満足いく仕事を出来る状況。

「金」。いうまでもなく報酬額の高さ。

「無償での演奏活動」は上2つのうちどちらかが満たされていれば、引き受けることも視野に入れることができるということですね。

確かに、自分の経験のためであれば例え無償でも引き受けたい仕事もあるかもしれません。

僕だって、ショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏会だったらお金を払っても指揮させて欲しいと思います(笑)。

ただ、あくまで「視野に入れる」というだけです。自分の今後の演奏活動における糧となるようでしたらお引き受けすることもあるとは思いますが・・・。

ですが、音楽大学の学生だった頃と今では環境も状況も違います。

プロとして活動しているからにはその演奏には「責任」も発生します。

「お金を貰う」とはその仕事に責任を負うこと。まだ駆け出しとはいえ、プロの演奏家たるもの自分の仕事は責任を持って遂行したいと思います。

また、お金を頂かないことでその仕事に責任を持てなくなってしまうのではないか・・・という懸念の他に、音楽家全体の価値を下げてしまう原因にもなってしまうということが挙げられます。

「あの人はタダでやってくれたのに」という風潮が蔓延し、軽々しく無償で引き受けたことで、同業者に迷惑をかけてしまう・・・ということになりかねません。

ですから基本は、

「しっかりと報酬を受け取り」

「責任を持って任務を遂行する」

ということに尽きるのではないでしょうか。

先述のショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏会ではありませんが、自分がその仕事に魅力を感じて自ら参加を志願した場合に、初めて無償での演奏というものが成立するのではないかと思います。

これから社会に出るフリーランス奏者の方も、決して「自分はまだまだだから・・・」という謙遜の気持ちから無償の仕事(そもそも無償の時点で仕事とは呼ばないか?)を安易に引き受けないことを強く推奨します。

自分がこれまでに積み上げてきたものを否定する事にもなりかねませんからね。

堂々と、報酬を要求して良い、むしろするべきだと思います。

逆に、学生のうちはなるべく色々な所に(学業を疎かにしない程度に)顔を出すこともとても大切です。

学生時代に作った人脈は必ず社会に出た時に自分の助けになる事でしょう。

僕が音大卒業1年目から今までやってこられたのも、学生時代からの人の繋がりが大きいと自信を持って言えます。

ただし、学校の外での活動では学生、プロ関係なく見られることの方が多いですから、あまり何でもかんでも経験を積むため、人脈を築くためと引き受けていると結局は自分の価値を下げる事に繋がりかねません。なので、その辺の線引きは大事ですね。

音楽もそうですけど、Twitterでよく見るケースとしては漫画家、イラストレーターなどの職業も同様ですね。タダでイラストを描いてくれとか言われるというツイートをよく目にします。

残念ながら、まだまだ芸術系の仕事に対しては「物には原価があるが技術は原価がない」という風潮が根強く残っているようです。

だからこそ、自分はプロであるという自覚を持って日々仕事をこなし、そのことを発信していく必要があると感じます。

ABOUT ME
condzoomin
指揮者・ピアニスト・愛猫家。ショスタコーヴィチの作品研究と演奏をライフワークにしています。好きな日本酒は浦霞。