中身のない雑談

ワニの死から1週間

Twitterで話題になっていた「100日後に死ぬワニ」。

主人公の「ワニ」が何の変哲も無いありふれた日常を過ごしている様子を描くだけの4コマ漫画。

ですが、日常系の漫画と決定的に違うのはその「ワニ」が100日後に死を迎えることを読者だけがあらかじめ知らされているという点です。

ワニは100日後に死を迎えるなんて勿論知るわけもなく毎日を楽しく過ごしています。

この漫画は昨年12月12日から連載をスタートして、1日1話をTwitter上で更新。

つい1週間前の3月20日に100日目を迎えました。

99日目まで本当に元気だったのでなんとなく予想はついていましたが、やはり死因は事故死でした。

3月20日の19時過ぎに最終話が更新され、読み終わった後になんとも言えない気持ちになりました。

ああ、本当に死んでしまったなと。勿論最初から彼の命日が分かった状態で毎日読み進めていったわけですからこの日の更新で亡くなることは承知の上だったんですけど。

自分たちは自分自身の命日がいつになるか分からない状態で今日を生きているけども、1日1日を大切に生きようと、ありきたりな感想ですがそんなことを思いながらTwitterを閉じました。

事件が起こったのはその後です。

めちゃくちゃ炎上していました。

ワニの死後、グッズ展開や書籍化、映画化、いきものがかりとのコラボPVの発表など、怒涛のメディア展開が発表されたことが原因です。

僕は思うんですけど、そもそも漫画家という職業である作者のきくちゆうきさんが、なんの見返りもなく100日も無料で漫画を公開したわけないじゃないですか。

勿論それは、彼自身のPRのためという捉え方もできなくはないですけど、僕はTwitterという媒体を上手く活用した商法だなと思いました。

いつぞやの記事で書きましたが、日本はどうも技術に対する対価を甘く見ている風潮がまだ根強く残っている気がします。

「結局金儲けかよ」という批判が見受けられたことは、ジャンルは違えど芸術を仕事にしている人間としては残念極まりないです。

そもそも100日もの間、タダで漫画作品を楽しませて貰った立場のくせに何を言っているんだ、と思いました。

連載も後半に差し掛かると漫画が更新される度にリプライで送られてくる大量の「最終回予想」。ついにはテレビで堂々と最終回を予想するコーナーが放送されたりしていました。そんな中、最後まで描き切ってくださった作者には敬意を表します。

・・・上記の文章は炎上を少し後になってから知った自分のその時の感想です。

冷静になって色々な人に意見をTwitter上で見てみると、思ったよりも金儲け自体に悪口を言っている人は多くありませんでした。

では何故ここまで燃え上がったか。自分なりに周りの意見を見ながら色々考えてみるとまあ批判的な意見を持っている人たちの気持ちも分からないでも無いかな、と思うようになりました。

やはり理由は「余韻」にあるような気がします。

主人公の死をもって物語が完結してすぐ「はい、それではこちらが今後のメディア展開です!」とされたら、まあ冷める人もそれはいるでしょうね。

例えるなら、オーケストラのコンサートで問題視されている、我先にとブラボーと声を上げる「フライングブラボー」のようなものですかね。ちょっと違うかな。

作者によれば、もともとそんなプロジェクトが絡んでいたわけではなく、いきものがかりがコンタクトを取ってきたのが2月。プロデュースを行った会社が加わったのは1月だそう。

そして、メディア展開は100日目になんとか間に合わせたということ。

つまり途中から、そのようにメディアが加わったということで、それにより作者が正当な報酬を受け取れるのであれば非常に喜ばしいことだと思います。

それに、批判はあれどメディア展開の発表がワニの命日である100日目に行われたのは、「感情論を抜きにすれば」正解でしょう。

恐らく読者が最も熱量の高い瞬間はまさにワニの死の直後であり、ここからはある程度は持つかもしれませんが熱量は下がっていく一方だと思います。

人は熱しやすく冷めやすい生き物ですからね。読者が充分にワニの死の余韻に浸ってからの発表で果たしてこれだけ注目されたでしょうか。

ただ、これはこの作品の性質上難しいのですが、主人公の「死」をテーマにしている以上、読者が各々自分の中でそれを消化する時間も必要だったようにも思えます。

生きている自分たちにとっては100日では終わらず「ワニが死んでから1日目」「2日目」とまたありふれた日常が続いていくはずでした。

全く見ず知らずの人(ワニ)ですし、存在を知ってから立ったの100日。というかそもそも実在する人物(ワニ)でもありません。

ですが多くの人が彼に感情移入し、彼が命を落としてからもその死を時間をかけて受け入れていくという、作品が終了してからの(言い方は悪いかもしれませんが)「楽しみ方」がこの後は待っていたのではないでしょうか。

それを奪われてしまったことへの怒りが今回の炎上に繋がったんでしょうね。

とある小説で、こんなセリフがありました。

「登場人物が最も輝くのは、(死などによって)その物語から去る瞬間だ」と。

ワニが最も輝く瞬間が失われた事のがっかり感とでもいいましょうか、そう言った感情に起因しているのでしょう。

まあ、それでも自分はメディア化の発表はあのタイミングが最も効果的だったろうな、と周りの人の感想を踏まえた上でもやはり肯定的に捉えています。

長々と自分なりに考えてみましたが、少し別件で一つだけ言っておきたいことがあります。

100日後に死ぬワニの完結後に、YouTubeにて作者のTwitterから漫画を保存して、それをスライドショーのように100日分流す動画を偶然発見しました。

僕は再生数の増加に加担したくなかったので再生はしませんでしたが、もしその動画に広告が付いていたのだとしたら、やっていることは「泥棒」と同じだからな。

無料で見られる媒体としてアップロードされていたとしても、それを流用する輩が減らないことは残念に思います。

著作物への理解、敬意がもっと深まるように願って止みません。

ABOUT ME
condzoomin
指揮者・ピアニスト・愛猫家。ショスタコーヴィチの作品研究と演奏をライフワークにしています。好きな日本酒は浦霞。