音楽雑談

初めてのショスタコーヴィチ体験とオススメの交響曲について語る

Twitterを何気なく眺めていると、こんなツイートを発見しました。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団さんのツイート。ハッシュタグは「初めてのショスタコーヴィチ体験」とあります。

なんて素敵なタグ。

このタグで検索すると色々な方が、初めてショスタコーヴィチに触れた時の体験談を投稿していました。

流れに便乗して、僕も投稿しました。

ショスタコーヴィチはどうも「重い」とか「陰鬱」といったイメージが根付いているような気がします。

ですからショスタコーヴィチ作品にハマるには割とハードルが高いのかもしれませんが、一度その魅力を知ってしまうとそれはまるで沼のように、抜け出せなくなってしまうことでしょう。

僕は《交響曲第10番》の演奏を聴いてからショスタコーヴィチの魅力にどっぷり浸かりましたが、実際最も早い演奏経験は《第5番》でした。

とあるオーケストラの公演にてピアノとチェレスタのパートを担当したのです。

ショスタコーヴィチの《交響曲第5番》自体は知っていましたが、その時は特に特別興味を抱くわけでもなく公演を終えました。

その後《第10番》に出会ってから本格的に沼にハマるわけですが、今日はこれから皆さんが沼にハマれるよう、オススメの交響曲を3つほど、ご紹介したいと思います。

自分の大学院での研究テーマに含まれているのは《交響曲第7番》ですが、この作品については多分一つの記事では収まらないほど喋れるので、今回の「オススメ」からは除外させて頂いています。

オススメの交響曲

ショスタコーヴィチは生涯に15曲もの交響曲を書いていますが、どれも違った魅力に溢れています。

今から沼にハマろうという人は一体どれから聴いていいのか悩むところだと思います。もちろん、ちょっと検索すれば数多の楽曲解説が出てくるわけですが、今日の更新では個人的にオススメしておきたい作品をいくつかピックアップさせて頂きました。

ショスタコーヴィチ作品を語るにあたって、「社会主義リアリズム」とか「プラウダ批判」「雪解け」などの単語は必要不可欠な気もしますが、なるべく難解な語句は使わずに適当に思いつくままに今日は語っていこうと思います。

需要があれば今年は《交響曲第7番》を指揮させて頂く機会にも恵まれたことですし、別の更新で改めて、思い切り語ってみようかな?

書き終わってから読み返して、意外と長くなってしまったことに反省していないでもないですが、お時間があれば読んで頂けると嬉しく思います。

交響曲第5番 ニ短調 作品47

言わずと知れた名曲。ショスタコーヴィチはあまり知らないという方も《第5番》なら一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。

社会主義リアリズムという言葉を聞いたことはありますでしょうか。ソヴィエト連邦をはじめとする社会主義国において音楽や美術、演劇と言った芸術分野の指針となった考え方のことです。

世界の「現実」を具体的に描いて人民を教育。社会主義革命の発展に寄与することが芸術家の務めとされました。そして、この考え方からの逸脱は例え高名な芸術家であっても許されなかったのです。

ショスタコーヴィチは党の機関紙「プラウダ」にて名指しでの批判を受けましたがそれでもなお《交響曲第4番》で己の信条を描こうとしました。しかしこの《第4番》の初演は延期とされます。

独裁者スターリンによる粛清はショスタコーヴィチと交友関係があり、援助もしていた赤軍のミハイル・トゥハチェフスキー元帥や演出家のメイエルホリドなど、彼の身の回りでも当たり前のように発生していました。

こうした厳しい現実と芸術家としての信条、信念を折り合わせる手段として、所謂「二枚舌」の表現が《第5番》以降の交響曲に積極的に持ち込まれるようになりました。

つまり、一見して分からないような、表向きとは異なる本音を楽曲の中に密かに織り込んだのです。

この「二枚舌」こそがショスタコーヴィチの交響曲における魅力の一つでしょう。

ちなみに「二枚舌」という表現は、僕が論文を執筆する際に参考にさせて頂いた亀山郁夫氏の言葉です。

前衛的な《第4番》の初演を撤回して発表した《第5番》。1937年のソ連革命20周年の記念日に、ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルによって初演されました。

まるでベートーヴェンの交響曲第5番のような「暗から明へ」「苦悩から歓喜へ」と言った構図が党からは好意的に受け取られたのですが・・・

1979年、ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』の出版により、これまでの定説はひっくり返りました。

内容まで書くとだいぶスペースを使ってしまいますので割愛しますが、《第5番》は社会主義リアリズムに沿った作品ではないという作曲者の告白です。この本の真偽は、現在では「偽」という評価が定着していますが、簡単に偽書であると捨て去るには惜しいリアリティを感じます。

この本の中でショスタコーヴィチは「私の交響曲の大多数は墓碑である」と発言しています。

「メイエルホリドやトゥハチェフスキーの墓碑をどこに建てればいいのか。彼らの墓碑を建てられるのは、音楽だけである」と続くのですが、特にトゥハチェフスキー元帥は《第5番》が初演された年に反逆罪によって処刑されていますから・・・ショスタコーヴィチの作品に理解を示し支援までしていた彼の墓碑として書かれたということも、もしかしたら考えられるのかも知れません。

非常に分かりやすい構図をしているだけに親しまれてきた《第5番》ですが、もしかしたら、ものすごく深い悲劇が隠されているのかも・・・。

交響曲第9番 変ホ長調 作品70

なんだか思ったよりも《第5番》について長く語ってしまったので、ここからはもう少し簡潔に・・・。

次にオススメするのは《第9番》。

ベートーヴェンの《第九》以来、9番という番号は作曲家にとって特別な意味を持つようになりました。

ショスタコーヴィチは先述の通り生涯に15曲の交響曲を作曲しましたが、最初と最後の交響曲である《第1番》と《第15番》が純粋な絶対音楽であり、その間に様々な様式の13曲が書かれています。

革命をテーマとしたもの、生と死を扱ったもの、カンタータ風の作品、声楽つきの特殊な編成の作品。

《第7番》から《第9番》までは第二次世界大戦との関連から「戦争三部作」などと呼ばれていますが、《第7番》と《第8番》がレニングラードの攻防戦と直接関連しているのに対して《第9番》は戦後に書かれています。

ソ連の政府関係者はソ連を代表する作曲家であるショスタコーヴィチの《第九》に大いに期待していました。

第二次世界大戦におけるソ連の勝利を称えた大規模な作品が書かれるだろうと予測していたのかも知れません。

しかし蓋を開けてみれば実際に完成したのは演奏時間わずか25分程度。古典的な小規模の作品。

芸術関係者からの評価は高かったそうですが、ソ連政府当局は肩透かしを食らわせられたような《第九》に怒り心頭。それはやがて起こるソ連の作曲家批判に繋がっていきます。

これが所謂「ジダーノフ批判」と呼ばれる出来事ですがそれは今回は割愛。

ショスタコーヴィチは《第9番》という作品を書くにあたり記念碑的大作にしようと考えていた時期もあったようですが、結果としてこのような小規模な作品が生まれました。

シンフォニエッタ(小さな交響曲)とも呼べそうな短く簡潔な作品なので、ショスタコーヴィチに対して「重い」「陰鬱」といったイメージを持っている方でも気軽に聴くことができるでしょう。

交響曲第10番 ホ短調 作品93

さて、次は僕を「ショスタコ沼」に沈めた直接の原因ともいえる《第10番》。

他のショスタコーヴィチの交響曲の例に漏れずかなりの「謎」を含む作品ですが、純粋な器楽作品ながら、何らかのプログラム性を持っているのかどうかという論点があります。

というのも、この作品には頻繁に自身の名前から取った「DSCH」の音型(D=レ、SはEsと読み替えてミのフラット、C=ド、H=シ)が登場するからです。

1940年代からこのDSCHの音型を作品に組み込み始めたショスタコーヴィチですが、この作品ではまるで自分の「個」を主張するかのように何度も何度も登場します。

また、第3楽章では自分の生徒でもあったピアニストのエミリーラ・ナジローヴァの名前に由来する動機も登場。ホルンによってくどいほど演奏されます。

このように特定の人物を象徴する動機の使用は、一体どのような意図があったのでしょう。

ショスタコーヴィチとエミリーラの関係を「愛人関係」とする説もあるにはあるようですが、果たして真偽のほどは・・・。

ショスタコーヴィチの伝記を執筆したローレル・E・ファーイは「エミリーラ自身は後に、”ショスタコーヴィチが例え自分に夢中になっていた時期があったとしてもそれはあくまで『芸術家に霊感を与えるミューズになって欲しかったから』であり、《第10番》の初演後に自分の使命は終わった”と語った」と書いています。

また、エミリーラの動機がマーラーの《大地の歌》のホルンの動機に似ていることに興味を覚えたという記述もあることから、自伝的な要素を盛り込んだ作品というわけではなくて、単に音楽の素材として面白いから使ったのかも知れません。実に巧妙に、後世に謎を残してくれたものですね。

先述の《第9番》初演から《第10番》の発表までは約8年の歳月が流れているのですが、「ジダーノフ批判」による厳しい批判を受け、その後スターリンの死去により芸術の統制に緩みが生じたという社会情勢の変化がこの曲の背景には存在しています。

小規模かつ古典的な《第9番》ではなく、《第10番》こそが真の「戦争三部作」の3作目であるという説がありますが、僕はこれに全面的に賛同します。

《第4番》から続いてきた純粋な器楽編成による交響曲が一旦ここで完結するからです。

この後に続いているのは、革命を題材とした作品や声楽つき交響曲。

器楽のみの編成による絶対音楽作品において、この《第10番》が事実上、一つの頂点であると思います。

ショスタコーヴィチ自身が《第10番》について「私は人間の感情と情熱を伝えたかったのです」と述べています。

この一言だけでも、この作品について色々と思いを馳せることができると思いませんか?

魅力溢れるショスタコーヴィチの作品を演奏しよう

さて、長々と語ってきましたが、僕はショスタコーヴィチ作品に魅せられた一人の指揮者としていつかこれらの作品に思い切り取り組む機会が来ることをずっと願っていました。

そして、それは今年実現しました。

ロマーシュカ・フィルハーモニー。3回の演奏会で「戦争三部作」を取り上げることを目的に設立された新しいオーケストラです。

公式ホームページ

共にショスタコーヴィチの「戦争三部作」を演奏する同志を現在、広く募集しています。

第二次エントリー期間は2月1日〜14日まで。

詳しくはホームページをご覧ください。

まずは今年9月6日。交響曲第7番。ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も長大なこの作品に、共に挑戦しませんか。

皆様のエントリー、お待ちしています。

・・・という宣伝で今回の更新は一旦閉めようと思います。

また機会があれば、他の作品についても(交響曲以外のジャンルにも素晴らしい楽曲がたくさんあります!)、是非記事にさせて頂きたいと思っています。

ABOUT ME
condzoomin
指揮者・ピアニスト・愛猫家。ショスタコーヴィチの作品研究と演奏をライフワークにしています。好きな日本酒は浦霞。