音楽雑談

夏の終わりに寄せる歌

こんばんは。

いよいよ9月。時間が経つのは本当に早いですね。

1ヶ月以上ぶりの記事更新となるわけですが、今日は夏の終わりに聴きたくなるこちらの楽曲の紹介をしていこうと思います。

森山直太朗さんの「夏の終わり」

この曲は何よりも、歌詞に用いられている日本語の美しさが印象的です。

(上に貼り付けた動画は僕のチャンネルに投稿したものです。気に入って頂けたら是非ともチャンネル登録をよろしくお願いします)

「夏の終わり」の歌詞

この曲の歌詞は森山直太朗/御徒町凧という黄金コンビにより作詞されています。

非常に美しい日本語で、「忘れじの人は泡沫」や「妙なる蛍火の調べ」など日常生活ではお目にかかることのない文章が紡がれていきます。

「夏の終わりにはただ貴方に会いたくなるの いつかと同じ風吹き抜けるから」

夏の終わりの時期に差し掛かると、今はもう会えなくなった大切な人を思い出す。そんなイメージの湧く曲ですが、実はこの曲は、反戦歌(戦争への抗議を歌詞に込めた楽曲)として書かれています。

反戦歌として歌詞に込められた想い、情景

「焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫」

反戦歌として改めて歌詞を見てみると、「焼け落ちた」というのは空襲によって焼け落ちた街の様子を思い起こしますし、また「焼け落ちた」の後には「夏の恋唄」と続くことから「肩並べ夢を紡いだ」想い人の戦死について述べた言葉かもしれません。

続く「忘れじの人は泡沫」という歌詞。

忘れられないあの人は、水面に浮かぶ泡のように儚く散ってしまったのでしょう。

「貴方を待っていた 人影のない駅で」

直後に続くこの歌詞。

個人的に一番心に迫るものがあるポイントです。

人影のない駅で来るはずもない(来ないと分かっている)「貴方」を待っていたのでしょうか、それとも帰ってくるはずという儚い希望だけを胸に、駅に人影がなくなるまでずっと待っていたのでしょうか。

初めて聴いた時、たった一つの文章でここまで胸が締め付けられるものなのか、と思ったものです。

2番の歌詞では少し時間の経過があるようです。

「追憶は人の心の傷口に深く染み入り」

追憶とは過去を思い出して偲ぶという意味があります。

「あれからどれだけの時が徒に過ぎただろうか」

徒に過ぎた(ただただ過ぎてしまった)と言っていることから未だに傷は癒えることなく残り続けているのでしょう。

「夏の祈りは妙なる蛍火の調べ」

蛍火の調べ。蛍の光というのは戦没者の魂の象徴だという話を聞いたことがあります。神秘的な尊さを持った蛍の光を目の当たりにし、かつては自分の隣にいた大切な人の魂が帰ってきたような感覚に包まれている様子が思い起こされます。

「風が揺らした風鈴の響き」

風鈴を鳴らしたのは風でしょうか。それとも帰ってきた「貴方」でしょうか。

夏の終わりの物悲しさ

夏の終わりというのはどうも物悲しい、寂しい気分にさせられます。

色々な理由があると思いますが・・・例えば子供の頃に感じた夏休みの終わりの気分を思い出すから、とか。日没が早くなるから、とか。

無常。この世のものは全て永遠に続くことはなく、消えて無くなってしまいます。

世は定めなきこそいみじけれ、という言葉がありますが、この世は無常だからこそ、その物悲しさの中に美しさがあるのだと思います。日本人にはこの感覚が強く根付いているように思います。

一つの季節が終わりを迎え、儚さの中に美しさを感じる。

まさに森山直太朗の楽曲はそのような日本人の感性を刺激する見事なものだと言わざるを得ません。

ABOUT ME
condzoomin
指揮者・ピアニスト・愛猫家。ショスタコーヴィチの作品研究と演奏をライフワークにしています。好きな日本酒は浦霞。